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1月31日にスウェーデン大使館で行いました、『シンプル・シモン』上映記念シンポジウム『映画が教えてくれること−アスペルガー症候群』ですが、当日の内容について「映画と。」(http://eigato.com/)の藤澤貞彦さんより、特別にレポートをお寄せいただきました。当日の様子が非常によくわかるようまとめてくださっていますので、シンポジウムに参加できなかった方も、ぜひご一読ください。なお、シンポジウムの概要についてはこちら(http://www.tnlf.jp/event_02.html#03)をご覧ください。

また、藤澤貞彦さんは「映画と。」 サイトに、TNLF2012上映作品「シンプル・シモン」の鑑賞レポートも書いていらっしゃいますので、こちらもあわせて是非ご覧ください!
>> 【TNLF_2012】 『シンプル・シモン』アスペルガー症候群、シモンが見る世界の姿
>> 『シンプル・シモン』上映記念シンポジウム 第1部 講演 「障害者の自立と北欧社会〜スウェーデンを視察して〜」
■ 『シンプル・シモン』上映記念シンポジウム 第2部  「映画が教えてくれること:アスペルガー症候群」
2012年1月31日、『シンプル・シモン』上映を記念した、トーキョーノーザンライツフェスティバル2012のイベントがスウェーデン大使館にて開催された。その第二部では、「映画が教えてくれること:アスペルガー症候群」と題して、映画批評の萩野亮氏を司会に、自閉症の弟さんを持つ弁護士金子涼一氏、自閉症の妹さんと家族を撮ったドキュメンタリー『ちづる』の赤ア正和監督、アスペルガー症候群の姉と妹が主人公の映画『音符と昆布』の井上春生監督をゲストにしたシンポジウムが行われた。その模様をお伝えする。充実した内容ゆえ『シンプル・シモン』を観る前に、また観た後にこれを読んでいただき、作品だけでなく障害について、より一層の理解を深めるお役にたてればと思う。


司会
このシンポジウムでは、アスペルガー症候群そのものを語るのではなくて、タイトルにもありますように、あくまで映画が「障害」をどのように表現できるか、また伝えていけるかについて話し合っていきたいと思います。映画はときに問題を凝縮して提示することがあり、また社会的認知を急速に高める役割を持っています。ここでは、アスペルガー症候群だけでなく、もっと広い意味で障害全般について考えていければと思っています。
それではまず、井上監督と赤ア監督に、それぞれの映画の製作の経緯についてお伺いしたいと思います。

井上監督
『音符と昆布』という映画をなぜ作ったのかということですが、僕には一人のこどもがおりまして、2歳の時に医師から非定型自閉症という診断を受けました。それからこんにちまで、療育も含めて家内といっしょにやってきたのですが、子供と共に成長した家族の形をフィクションの映画で残すことができないかと考えたわけです。これまでにもアスペルガー症候群や自閉症を扱った映画は色々あるわけですが、それらはどういうものかを伝えるというような、教科書的な役割を持ったものだったと思います。もうそういう映画作りはもうおしまいにしても良いのではないか。観客のみなさんが映画をご覧になった時に、アスペルガー症候群の人たちの気持ちだとか感性というものがどんなものなのかわかるような物語を作っていくことができないか、というのがそもそもの契機です。

赤ア監督
『ちづる』ですが、これは大学の卒業制作作品で、自分の2つ下の妹を主人公にした映画です。お陰さまで全国で上映していただいておりますが、最初はこんなことになるなんて思いもよりませんでした。小さい頃から自分の妹のことをなかなか友だちに言えずにいたのです。自閉症の話をすると重たい空気になってしまうので、これは言わない方がいいのかなという風に思ってきました。大学に入ってずっとつきあっていきたい親友ができてから、どうにか言いたいなと思って、思いきって自分の妹のこと、家族のことを映画にしたのです。ですから友だちに見せたら引かれるなっていうような重苦しい作品ではなくて、実際自分が家で感じている面白いことをカメラで直接見てもらおう。そうしたらいっぺんに色々なことが伝わるかなと思い、日常を淡々と切り取ることにしました。

司会
今日話題に上がるもう一本の『シンプル・シモン』はスウェーデンの映画です。この映画で描かれている社会的な背景や問題提起について、金子さんからあらためてご説明いただけますか。

金子氏
アスペルガー症候群がどういうものか本当にわかりやすく描かれております。日本と比べてスウェーデンの社会福祉はかなり高いレベルにありますが、障害者をとりまく人や環境というのは、スウェーデンと日本とではあまり違わない点もあるのではないかなと思います。すごく特徴的だなと思ったのは、シモン君の症状を我慢している人とそのまま受け入れている人が映画の中に出てくることです。我慢している人は、一緒にはいてもシモン君に対するアプローチはないんですね。受け入れている人はシモン君をそのままの人間として接するわけです。問題提起としては、そういう風に受け入れることによって障害者であっても変わっていくのだ。そういうところが出ているのではないかなと思いました。

司会
井上監督と赤ア監督は『シンプル・シモン』をどのようにご覧になりましたか? それぞれの作品に共通するところがあるのではないかと思います。

井上監督
『シンプル・シモン』は極めてチャレンジングな映画だと思います。書籍とかではいつも、アスペルガー症候群の人は「人の気持ちがわからない」というのが最初に書かれているのですが、これは学者が書く文章だなと僕は思います。彼らも人の気持ちは理解しようとしています。『シンプル・シモン』の中で主人公はお兄さんの新しい恋人を探そうとします。人間の絆とか関係性がわからなくてアスペルガー症候群の人がそういうことをするのかと言えば、するのですよ。何が面白いかと言うと、その発端と探し方が非常に個性的なのですね。元々どんな方にでも個性的な所作や振る舞いというのはあるのです。ただ私たちと違って彼らは、人との関係を紡いでいくのが不器用なだけなのです。これは彼らだってやる時はやるさ、そういう映画なのです。
自分の作品『音符と昆布』は、アスペルガーのお姉ちゃんが自分の存在を知らない妹に謝りに来る映画です。彼女が人間と人間の繋がりを修復したいという思いでもって行動する物語にしました。彼らは方法論を知らないだけで、それを教えてあげればできるのですね。こちら側があっちに近づく方法もあるし、彼らもこちら側に近づく方法論というものも探していけばあるのです。宝物探しみたいなものだと思います。それには、相手のもっている考え方をこっちがちゃんと理解してあげないといけません。こちらが強者の立場になるので、その点では弱者に対してそうした環境作りをしてあげることが義務であるのです。『シンプル・シモン』も自分の映画にしても、あちら側から近づいてくる物語っていうのは、今までそんなになかったと思います。

赤ア監督
今、僕は知的障害者の福祉施設で働いていて、毎日障害をもった方と向き合っているのですが、この人はどういうことを思っているのだろうなということが、一年たった今でもなかなか理解できないんですね。けれども『シンプル・シモン』を観ると、シモン君の気持がわかったような気がしてきます。彼は、嫌なことがあるとドラム缶に閉じこもるのですね。ご両親は必死に出てこさせようとするのですけれども、頑なになってしまっている。映画は、シモン君の見ている世界を映像にして見せています。家の中で起きていることなのですけれども、彼にとってはドラム缶の中は宇宙空間なのですね。星が無数に瞬いてる。そんな中にいる時に、柳沢慎吾君がやるようなお兄ちゃんの無線が入ってきて、除々に現実に帰っていくというのを見て、ああこういうことなんだというのがわかった気がしました。シモン君は宇宙の中にいて気持いい状態なのにいきなりお父さんお母さんにガガガガンとやられるから非常に嫌な気分になる。けれども、現実と宇宙空間の間に無線が流れるという形をとってやれば、シモン君も出てきやすくなるのです。いいお兄ちゃんだなと思いました。こういう本人の世界を描くことというのは、ドキュメンタリーでは絶対できない。それがすごく面白いなと思います。

司会
今日話題に上がっている三本のうち、『シンプル・シモン』と『音符と昆布』はドラマであり、『ちづる』はドキュメンタリーであるわけですが、ドラマとして描くときには、人物にどこまでリアリティをもたせるかが非常に重要になると思います。井上監督は、アスペルガー症候群の女性を演じた池脇千鶴さんに、どのような演出をされてキャラクターを作られたのでしょうか。

井上監督
池脇千鶴さんは、以前『ジョゼと虎と魚たち』で障害を持つ女性を演じていたこと、撮影期間が限られていたので反射神経でやってくれる人、それとお仕事として映画の現場に来ない人ということで選びました。彼女と会って話したときにこの人でいいなって思ったのは、決定稿で出した脚色の強いシナリオより最初に書いた非常にシンプルな第一稿を気に入って頂いたことです。ハンディキャップというものを結構フラットに見てくれていたのですね。短い期間の撮影ですから、女優とは精神的にシェアする部分がないと現場が白けたものになっちゃうので、そういう部分も含めて考えてキャストしました。表現の面では、分かりやすさを踏まえ、それなりに誇張していますよ。脚本では好奇心旺盛な女の子ということにしてあったので、何か自分で興味のあることとかをツラツラ喋っているというようなことがあるのですが、役を理解してもらうために、アスペルガーである彼女がなぜパニックを起こすのかというようなことを少女時代から遡ってみて、こういう風な原因があったんだよということを含めて彼女自身の背景も作っていきました。

司会
金子さんは『音符と昆布』をどのようにご覧になられましたか。

金子氏
『音符と昆布』のほうは、池脇さんがどういう風にアスペルガーを演じられるのか興味がすごくありまして、確かに監督が今おっしゃったように誇張されている部分がある反面、
逆にすごく自然な部分もりました。僕は弟をいつも見ていますので、「うんうん、そういうことやるよね」という部分が随所にあって、障害がすごくわかりやすく描かれていたように思います。
それと、やっぱり僕は、かりんさんはよく妹のももさんの家に来たなって思いました。これは、障害のあるかりんさんにとってはとても大変な行動なのです。ももさんたちはなぜ彼女が来たのかわからないのだけれども、最後には、かりんさんは本当に妹が好きな気持ちがあるから来たんだっていうのが伝わってきて、僕の中でストーリーが繋がりました。お姉さんが妹を想うということは、すごく普通な感情だと思うのですね。そんな普通な感情が描かれることによって、障害者も、誰もが持っている感情を同じように持っていて、ただちょっと 表現が違うだけなんだということがよく伝わってきたと思います。

司会
池脇千鶴さん演じる女性がアスペルガー症候群であることを、映画の中盤まで明かしていないことがわたしはとても重要だと感じました。そうすることで、障害をもつ姉にとまどう妹と、観客は同じ立場に置かれるわけです。

井上監督
今振り返ってみると、明かすのがちょっと早かったかなと思います。クライマックスの直前で明かすのが一番効果的なのではありますが、初めて観る人のためということを考えると、中盤くらいにするほうが親切かなと考えたのです。なぜ僕が妹さんに会いにくるという話を作ったのかと言うと、自分の子供が一人っ子なのですね。子供がひとりしかいないっていうのは、親なき後のことを考えていったときに、重苦しい壁になってぶつかってくるのです。そういう意味で兄弟や姉妹というものが、憧れだったのですね。
もちろん、自分が棺桶の中に入るまで解決できない問題だなっていうことは、わかってはいるのです。それでも、経済的な支援も含めて幸せに生きていけるようにという環境作りっていうのを宿題としてやっていかなければならない。それにしてもそういったときに、自立ということが大切になってくるわけですが、スウェーデンと日本は違っていて、行政のほうも財政が縮減されるなど当てにできないような状況の中では、『音符と昆布』『ちづる』を観て、観客に何かを感じて考えてもらったり、あるいは支援者も含めてこういう場(このシンポジウムのような)を作っていかないと、救われない方たちも多いのではないかと思います。

司会
話題を今度はドキュメンタリーのほうへ向けていきます。ドキュメンタリーがドラマと異なることのひとつに、プライバシーの問題が大きくあると思います。『ちづる』は大学の卒業制作として撮られたわけですが、一般に広く公開することについて、相当な覚悟、決意があったのではないかと想像します。

赤ア監督
元々公開されるなって思って作ったわけではないので、決意というよりは、何か流れに身をまかせていたというのが本当のところです。自分としては、元々映像というものが好きなので、自分の作ったものが公開されていくっていうのは、ただただ嬉しかっただけなのです。ただ『ちづる』を障害者映画という風にはしたくなかったので、このキャラクターを伝えようということだけではなくて、家族を主人公にした映画にしようと思っていました。それで、実際観てもらって、観客席から笑い声が聴こえてきたり、妹さん面白いねとか、可愛いねといった普通の意見があったので、この映画は障害者っていうフィルターを取っ払える力があるのかなって自身が持てたので、とにかく今は前向きな気持ちです。一番大変だったのは、多分母親だったと思います。

司会
第一部の講演から『ちづる』について話したくてたまらない様子だった金子さんはいかがでしょう?

金子氏
赤崎監督にはこの映画を作ってくれて本当にありがとうという気持ちです。僕の弟とちづるさんが似ていて感情移入したこともあるのですが、それ以上に『ちづる』は障害者の家族をも描いているのが素晴らしいんですね。障害者とともに暮らす家族がどういう思いを持っていて、どんな生活をしているのか、生の生活がそのままに描かれているのです。
僕の中で印象的なシーンが何個かあります。ひとつは監督とお母さんがぶつかり合うシーンです。家族はみんないつも仲が良く協力しているわけではなく、それぞれの思いがあって、たまにはぶつかりながらもみんなで生きているのですね。この作品には、自閉症の家族の生活の大変なところが少しと、本当にシュールな笑いで溢れている生活がすごく良く出ていて、それが好きでした。本当にたくさんの人に観て欲しいと思います。ひとつには障害というのが、そんなに大変なことではないのだということがわかると思います。あとこういう風に生きている人が、今もこの瞬間にいるのだということを知ってもらいたいですね。

司会
最後にみなさんに一言ずつお伺いしてこの場を開きたいと思います。大きな話になりますが、障害者のことについて、あらためて映画にできることとは何でしょうか?

赤ア監督
例えば僕の妹に突然走ってこられたとしたら、なんだこのおっかない人はで終わっちゃうと思うのですけれども、映画をずっと観ていると障害のある人って割と普通なんだっていうことがわかると思うのですよね。そういうことを知る機会というのはなかなかないものなのですが、映画は時間と場所を飛び越えてその人の生活や色々なものが見えてくるものだと思うのですね。そういう意味で本当にいい手段だなって思います。

井上監督
映画は観てもらわなくては話にならないのです。映画って口コミなのです。『ちづる』は、作り手が身を呈して作っている映画なんですね。そうしたことが、口コミで反響となって伝わってきたかと思います。今日こられた方たちも、赤崎さんの素晴らしいキャラクターも含めて伝えていただいて映画をたくさんの人に観てもらえたらと思います。『シンプル・シモン』もアスペルガーの方々がもっている個性、世界観を発想力でもってよく伝えてくれる映画です。みなさんに予告編で観られた感想でもネットでどんどんアップしていってもらえれば、多くの人に観てもらえるし、それがまた倍増効果を生んでいくのです。

金子氏
観る側として、映画がどういうことができるのかなということを考えてみると、それは何か観た人が感じることなのではないかと思いますね。自閉症やアスペルガーについての知識は本を読めばいくらでも書いてありますけれども、それはただの学問だと思うのです。そうではなくて、映画を観ることによってみなさんが感じる障害者っていうものがあると思うのですね。それは本で読んで知っている障害者とは全然違うものだと思うのです。それをエンターテインメントとして、しかも気軽に観られて、感じてそして障害を知ることは、映画にしかできないことではないかと僕は思います。

(文:藤澤貞彦 / 写真:Joshia Shibano)

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